同級生と疎遠になったB子の話②

疎遠になった友人B子の話 後編

こんにちは

まなえです

前回のつづきです。

33歳で結婚した私は3年ぶりにB子と再会した。

彼女は、結婚祝いの場で「おめでとう!」とは言わなかった。

なのに、なぜ?

私に会おうとしたのか。

残念なことですが、この件で理解できました。

良かったら、前回のお話も読んでいただけると嬉しいです。

 

私の事をそんな風に見ていたなんて

さらに、B子は

B子

絶対、妥協してまで結婚するつもりないわ。

嘘?まじで言ってる?

私は、何も言わずに台所へ向かう。

出来るだけ明るく振る舞ったが、A子との会話は記憶もなく。

フラフラした。

もう無理だ。

ここにいたくない。

まなえ

A子、ごめん!今日は帰るね。

私は、B子が座っているリビングにバッグを取りに行き、

まなえ

私、帰りますので。

とだけ言った。

玄関で慌ててるA子に、

まなえ

ほんとにごめんね?また来るねー。

と、出来るだけ明るく努めて家を出ました。

そして、

なかなか来ないバスを待つ間、喉の奥が熱くて今にも泣きそうでした。

泣かない。

私の結婚を素直に喜んでくれなかったあの女の態度に自分が不憫だった。

泣かない。

くそー。

何も言い返せなかった自分も情けなくて。

セッティングしてくれたA子には申し訳なくて。

帰ってしまう大人気ない自分にも嫌気がさした。

結局、自分が原因ですね

あの時、

「まなえ、おめでとう」

私は、そう言ってほしかったんだ。

期待していた自分が恥ずかしかった。

当時、私の事をお祝いしてくれる人が少ないのを認めたくなかったのもある。

そう、自分の家族も親戚もお祝いの言葉がなかったのが惨めだった。

なんで、私は幸せになる事を喜んでもらえないんだろう。

結婚する幸せを感じるどころか、周りの反応の無さが惨めでしんどい時期でした。

だけどそれって…

いま振り返ると、自分がいろんな事から逃げていたからだと思う。

高校時代の友達が結婚したりお母さんになったりする変化を、素直に喜んでいる自分はいなかった。

うまくいかない自分。

逃げてばかりの自分は、幸せになる人を素直に喜ぶ事が出来なかった。

疎遠になっていったのは自分から。

そんな私は、言葉に出さないだけで友達の結婚を素直に喜べない…

それって・・・

B子と一緒じゃん。

そう思うようになったんです。

「おめでとう」って言わないB子。        祝福できず逃げていた自分。             それって一緒じゃん。

やっと気づいた。

あの頃は、脳が悲劇のヒロインしてB子に失礼な事を言われたと思っていました。

でも、もしあの頃。

幸せになっていく友人達を心から祝福できていたら?

ひねくれた方へ向かっていくのを選んだのは自分。

幸せになる人生から逃げるようになったのは、今の自分の事を聞かれたくないからだったんだ。

そして、努力もしないで楽して幸せになりたい輪の中に入っていったのも自分。

もし、B子が先に結婚したら?

きっと、私は会わない。

だって、

「B子、結婚おめでとう!」

なんて言いたくないから。

言葉にしないだけで、喜んであげれないのは一緒の事をしている。

50代になって、ようやく気がつきました。

疎遠になったB子のその後

彼女とは、もちろん会っていません。

一度、ショートメールで連絡がありました。

44歳の頃でした。

「また会いたいね。」と。

私は、

「仕事が忙しくて、ごめんね。」

とだけ返信して会いませんでした。

いまさら??

意味不明でした。

A子から聞いた話では、36歳で結婚したみたいです。

A子

公務員の旦那さんだけど、11歳年上なんだよね。

不妊治療して42歳で男の子を出産したって。

旦那さんが53歳の時だから小学校上がる頃には定年。

で、将来が不安って言ってた・・・

といった内容した。

続けてA子が言うには、

A子

まなえの連絡先を知りたかったみたい。

まなえが引越したのをB子は知らないでしょう?

だから手紙を送っても届かなかったって私に聞いてきた事あったの。

でも、私は教えなかったんだよね。

うーーん。

なんで今更、私に連絡してきたのか。

A子と話しているうちに、

B子は『周りには若いママさんしかいなくて輪に入れない』って悩んでたようだ。

A子

まなえとママ友になりたかったのかな?

なるほどね。

私も高齢出産でシングルマザー。

経済的にも似た者同士と思ったのかもしれない。

はぁー。

B子は相変わらずだ。

独身時代、私は利用されるだけの関係。

利用価値が無くなると、私には連絡が来なくなる。

それどころか、私には内緒で合コン仲間とは集まっていた。

B子は運転できない。

運転できる人と仲良くなってドライブなど行っているのも知っていた。

あの頃、私は車を所有するお金がなくてペーパーだった。

もしまた、会っていたら?

私を運転手代わりとか、いろいろお得な情報など貰えるとか?

そんな風に思っていたのかもしれない。

あり得ないでしょう。

きっともうB子とお会いする事はないですね。

私の旦那さんは立派な人

B子は結婚相手として高学歴、高収入のイケメンと決めていた。

しかも、収入が安定している公務員がいいとかなり重視していた。

両親が自営業で苦労しているのを見ていて嫌だったらしい。

だから、私の結婚相手が公務員なのか知りたかったのでしょう。

私の旦那さんの会社名を知らない、妥協で結婚はしないと、B子に言われましたが、私は旦那さんのおかげで安定した生活を送れています。

旦那さんが亡くなってシングルマザーになったにも関わらず、今もなお会社側から上乗せした遺族年金が支給されています。

今、娘達は高校大学とお金がかかる時ですが、そのおかげで不自由なく進学させる事もできています。

でも、そんな事はB子には言う必要はありません。

同士と思って近づこうととしたのに、きっと気に入らないと思うでしょう。

彼女は、よく

「医者や公務員は金持ちじゃん。不公平よ。」

と言っていました。

でも、医者だって公務員だって努力しないとなれません。

私もB子も高卒。

10代20代の頃、彼らは勉強して資格試験を受けている。

そして、合格しないとなれない。

努力して勝ち抜いた人たち。

あの頃、同じように努力していない私たちにそんな文句は言えないのです。

だからって、今のB子に言っても分からない話だと思います。

ただ、私の旦那さんは立派な人でした。

ここでしか言えない私ですが(*^^*)

まとめ

人って、なかなか変われない。

私だってそう。

相変わらず、コミュニケーション苦手。

ニコニコしたりヘラヘラして周りの顔色ばかり見てしまう。

だけど、今は。

気が向かないなら断っていい。

嫌だなと思う事には直感的にNOと言えるようになりました。

若い頃、断れなかったのにね。

今はもうね、周りにいい顔している暇はないんですよ。

実は今、参加してみたいコミュニティとかあるので、そこへ飛び込みたいんですがね。

なかなか勇気が出なくて。

でも、きっと参加します!

これが出来たら、何かこう…

パァーーー!っともっと自分は弾ける気がしています。

もっと勉強して、理解できるようにならないと。

つまらない噂話でお茶してる時間はありません。

老後も幸せを噛みしめる人生にしたいと思います。

お金の勉強、頑張ります。

誰かに依存しないで、自分の頭で考えて行動できる50代でありたいです。

そう改めて決心します。

有言実行!!

で、今日も一日頑張ります!!

それでは本日はこの辺で失礼します。

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

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