漫画(毒親編)私の父親は最低な人間だった

私の子供時代 その8|ピンクのバスの行き先

こんにちは、まなえです。
年長さんだった頃の、忘れられない一日について書きます。

※本記事には、家庭の無関心・依存行動にまつわる記述があります。しんどくなる方は無理せず休みながらお読みください。

幼稚園を休んだ朝、父と出かけた

その日、私は幼稚園に行かず、無口な父と家を出ました。
どこへ行くのかは分からない。
私はただ、「父と出かける」ことがうれしかった

父のあとを黙ってついて歩く幼い私のイラスト

ピンクのバスに乗って——期待で胸がふくらむ

小さめで可愛いピンク色のバス。
「遊園地かな?動物園かな?」——父は答えないけれど、私はワクワクしていました。

ピンク色のバスに乗り込むシーンのイラスト

降りた先は、遊ぶ場所ではなかった

人は多いのに、子どもの姿は見当たらない。
周囲はおじさんたちばかり。
父は誰かと立ち話をしている。
私は隅で座って待ちました。

お昼どきに、うどん(あるいはラーメン)を食べさせてもらい、ファンタグレープを買ってもらった記憶。
紙コップを両手で持って、ひとりで飲みながら待ち続けた私。

人混みの中でひとり座って待つ幼い私のイラスト

やがて再びピンクのバスに乗り、てくてく歩いて帰宅しました。
「きっとこのあとどこかへ——」という期待は、胸のなかに残ったまま。

夜の夫婦喧嘩で、行き先を知る

その夜、いつも以上に激しい言い争い。
幼稚園から欠席の連絡があったのか、母は私に「どこに行ったんか?」と何度も尋ねました。
うまく答えられず、私は自分が悪いことをしたのかと思って泣きたくなりました。

不安そうに俯く幼い私のイラスト

後になって知ったのは、父が私を幼稚園に連れていかず、競輪場へ行っていたということ。
その現実を受け止めきれず、私は「家族でどこかへ出かけたい」という小さな夢を、胸の奥でそっとたたんでしまいました。

「尊敬する父親です」とは、どうしても言えません。
でも、当時の私はただ——父と過ごせると信じていたのです。


父の無関心とギャンブル依存が与える影響(簡単メモ)

無関心に見られがちな言動

  • 学校や日常に関心を示さない、会話や交流を避ける
  • 子どもの感情やニーズを受け止めず、承認や愛情が届かない

ギャンブル依存が家族へ及ぼす影響

  • 家計の圧迫・経済的困難
  • 信頼関係の崩壊、精神的ストレスの増大
  • 家庭の不和・不安定化

無関心 × 依存が重なると起きやすいこと

  1. 経済的ネグレクト:お金がギャンブルに流れ、生活の基本が満たされない
  2. 感情的ネグレクト:子どもの気持ちや安心が置き去りにされる
  3. 不安定な環境:勝敗に左右され、家の空気が常に揺れる
  4. ロールモデルの欠如:健全な親の姿が見えず、将来像が描きにくい

いまできる対処のヒント

  1. 専門家へ相談:依存症外来、家族相談、心理カウンセリング
  2. 家族療法/ピアサポート:当事者・家族会、支援グループの活用
  3. 子どもの個別支援:スクールカウンセラーや地域の相談窓口
  4. 安全と情報の確保:自治体・「DV相談+」など、頼れる先をメモしておく
私には当時、頼れる大人も情報もほとんどありませんでした。
だからこそ今は、「助けを求めていい」と伝えたい。
知っているだけでも、心のよりどころになります。

ときどき、いまだに悲しい気持ちがよみがえります。
けれど、書くことで少しずつ整理できる気がしています。
思い出したら、また記事にしますね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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