私の子供時代 その4
幼少期、いつも毒母の苦労話を聞いていた
こんにちは
まなえです
前回、毒母に「あんたがデキた時、産むか迷った」と言われたって書きましたが、その詳細を記事にしたいと思います。
私は、小さい頃から毒母の苦労話を聞いてきました。
よく覚えているのは、日曜日の夕方とかお手伝いをしているときでしたね。
ただただ、毒母の田舎で嫌だった出来事や父親の悪口を聞いてました。
そんな時、姉はいないんですよね。
どこにいたのか、何故いないのかは覚えてないんですけど。
なぜか、私と毒母だけでいる時の記憶です。
そう!毒母は姉にこんな話はしないから。
私といる時だけ、苦労話や父親の悪口を言っていたのかもしれません。
毒母は無意識かもしれません。
そうだとしても、幼い私はそんな毒母の話を信じて生きるしかなかった。
仕方なかったんですね。
父親のことも「ろくでもない男!!」と聞かされていた
父親は、本当にダメ親父でした。
働かない。
酒タバコ。
ギャンブル好き。
父親はお金がなくなると、毒母のお金を黙って持ち出して使ってしまうんです。
で、お金が失くなってるのに気づいた毒母は泣きわめいてました。
バカみたい・・・
今なら、お前がアホだろ!!って言えますが、
まだ幼稚園や低学年の頃だったので、毒母が大変そうに見えました。
「あんたは贅沢なこと言わんね?あんたはいい子よ」
私が、「あれ買って」「これ欲しい」と言えないのは、
「あんたはいい子だから贅沢なこと言わんよね?」
と小さい頃から毒母に言われていたから・・
低学年くらいだと、まだまだ母親が大好きですよね。
私は、自分がワガママを言わない事を誇らしく思っていました。
「あんたを産んだら、もっと苦労するだろうから・・・」
ともかく、毒母は自分の話しかしない。
私の話は聞かない。
私は、自分の話を聞いてもらえないから何も言わなくなったんです。
それに、
毒母の話を聞いていれば、機嫌を損ねずにすんだんだと思います。
何でもかんでも言ってくる話を、ただただ聞いていました。
でも、
さすがに、
「まなえを産むか墮ろすか迷った」
と言われた時は、頭がクラーっとしましたね😭
そんな時ですら、
「傷ついた」とか
「ひどい!!」とか
「そんな事は言わないで!!」といった言葉も出せなかったんです。
毒母は話を止めずに
「あの時は、やっとお姉ちゃんを託児所に預けて働き出したんよ」
「年子は世間体にも恥ずかしいし・・・」
と、自分勝手な事を言ってましたね。
やっと、働けるようになったのに・・・だと?
恥ずかしいって?
私が、産まれたら恥ずかしいって事??
「はあ?何言ってんの??」
「お前がそうしたんだろ?私が産んでくださいってお願いしとらんわ!!」
ふーーーっ (-_-)
今なら、毒母を蹴飛ばしてこう言ってやりたいですよ。
今やっと・・
怒りの感情が吐き出せるようになりました。
あの頃は、親に食べさせてもらうしかない。
よその世界が、全く見えないから。
だけど、
今はSNSで発信する方々がたくさんおられるので、すごく気持ちが楽になりました。
「私みたいに、言えなかった人っているんだーーー」
と、喉の奥が熱くなりました。
「恥ずかしいから言えない」
「私はおかしいんだ」
と、コソコソしていましたが、私の育った環境がおかしかったんだ!!
そう思えた時、体が震えました。
そう気付くことができて、いい方向へ人生が変わり始めました!!
まとめ
毒親から「産むんじゃなかった」と言われることは、子どもにとって非常に深い心の傷となる経験です。
このような言葉は、親子関係に深刻な影響を与え、子どもの自尊心や自己価値観を著しく損なう可能性があります。
毒親の特徴
- 子どもの人生を支配し、害悪を及ぼす
- 過度な干渉や統制を行う
- 子どもを無視したり、ネグレクトする
- 暴力や暴言を用いる
- 子どもと競争しようとする
- 一貫性のない態度をとる
これらの行動は、子どもの健全な成長を妨げ、長期的な心理的影響を与える可能性があります。
対処方法
- 距離を置く:可能であれば、毒親から物理的・精神的に距離を置くことが重要です。
- 自己肯定感の構築:専門家のサポートを受けながら、自己肯定感を高める取り組みをすることが大切です。
- 支援を求める:信頼できる友人や専門家に相談し、サポートを得ることが助けになります。
- 自己理解を深める:自分の感情や経験を理解し、受け入れる努力をすることが重要です。
- 境界線を設定する:毒親との関係において、明確な境界線を設定し、自分を守ることが必要です。
過去の経験を反面教師として、より良い親になろうと努力する人も多くいます。
しかし、自分自身のケアと心の傷の癒しが最優先であることを忘れないでください。
重要なのは、「産むんじゃなかった」という言葉は親の問題であり、決して子どもの価値を否定するものではないということです。
誰もが生まれてきた価値のある存在であり、そのような言葉に左右されることなく、自分の人生を大切に生きる権利があります。
私も皆さんと同じように、「こんな事あったなぁ」と、どんどん発信したいです😌
まだまだ、いろんな記憶が残っているので、今後も漫画にしていきたいと思います。
それでは本日はこの辺で失礼します。
最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
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