私の子供時代 その4|母から聞かされた苦労話と心の傷
こんにちは、まなえです。
今日は、小さい頃から母(以下、毒母)に聞かされ続けた苦労話と、その中で受けた心の傷について書きます。
幼い頃からの「聞き役」
日曜の夕方や手伝いをしているとき、毒母は田舎での嫌な出来事や父の悪口を延々と語りました。
なぜか姉がいないときばかり。
幼い私は「母の機嫌を損ねないように黙って聞く」ことを覚え、話を疑うこともできませんでした。

父への悪評と家の空気
父は働かず、酒・タバコ・ギャンブルにお金を使い、足りなくなると母の財布から抜き取る――そんな光景を見て育ちました。
母は泣き叫び、家の空気はいつも重たい。
今なら「どちらにも問題があった」と分かりますが、当時の私は母が可哀想に見え、ひたすら寄り添うしかありませんでした。

「いい子」の刷り込み
私は幼い頃から「贅沢を言わないいい子」と言われ続けました。
「あれ買って」「これ欲しい」を飲み込み、欲しい気持ちよりも母の機嫌を優先。
いつの間にか、それが自分の誇りのようになっていましたが、実際は自分の気持ちを置き去りにしていただけでした。

耳を疑った言葉
「まなえを産むか迷った」
頭が真っ白になりました。
「ひどい」「やめて」と返す代わりに、私はまた黙って聞き役へ。
毒母は続けて「お姉ちゃんを預けてやっと働き始めたのに、年子は恥ずかしい」と言いました。――「私が生まれることが恥ずかしいの?」心の中で叫びながらも、言葉は喉で止まりました。

今だから言えること
もし今の私なら言えます。
「私が頼んで生まれてきたわけじゃない」と。
けれど当時は、親に養われる身で、外の世界をほとんど知らず、怒りを表す術も居場所もありませんでした。
沈黙だけが、日常をやり過ごす唯一の方法だったのです。
気づきと変化
SNSで同じ体験を語る人たちを知り、私は初めて理解しました。
「言えなかったのは自分だけじゃない」――「恥ずかしくて言えない」のではなく、私の育った環境がおかしかったのだと。
その気づきが心の重しを外し、少しずつ人生が前へ進み始めました。
まとめ:あなたの価値は誰にも奪えない
親からの「産むんじゃなかった」は、子どもの自尊心を深く傷つけます。でもそれは子どもの価値を否定する言葉ではなく、親の課題です。
必要なら距離を置き、自己肯定感を育て、話を聞いてくれる人や支援先を見つけてください。
誰もが生まれてきた価値のある存在。
あなたの人生は、あなたのものです。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。





コメント