私の子供時代 その5|毒親と「服・下着を買ってもらえなかった話」
こんにちは、まなえです。昨日の記事の続きです。
成長しても、服を買ってもらえない
中学3年間で私は約10cm背が伸びました。
小学生の服は小さくなり、ほとんど着られない。
でも毒母は私にお金を使うのを嫌がり、必要な服や下着さえ渋ることが多かったのです。
私の体験から感じた「毒親の金銭感覚」
- 子どもへの支出を「犠牲・負担」と捉えがち
- 生活必需品でも購入を先延ばしにする
- お金の見返りとして「従順さ」を求めることがある
健全な親との違い
- 子どもの満足や成長を願って、必要な範囲で支援
- 過不足なく、状況に合った買い与え方をする
- 見返りを求めず、無条件の愛情がベース
「いつもその服だね?」とわざわざ言いに来る子
放課後に友だちと集まるようになると、学校以外の服装も目に入ります。
ある子は普段は話しかけてこないのに、わざわざ近づいてきて、
「いつもその服だね?」
「もう長袖って暑くない?」
「洗濯してる?袖口、前も汚れてたよね?」
当時の私は上手く返せず「ううん、暑くないけど…」とオドオド。
かわいいブラウスやスカート、色つきリップやイヤリングの子たちが眩しく見えました。
私は貰い物のオーバーオールや、小学生の頃のジーンズ、白いごっついトレーナー、ヨレた黄色の長袖ばかり。
中3までブラジャーを買ってもらえなかった
靴下は穴あき、朝礼では親指で隠してしのぐ毎日。
体操服のときは、ブラがないと目立つからと猫背で過ごしていました。
クラスの女子からも「ブラした方がいいよ」と言われるようになり、覚悟を決めて毒母に伝えました。
「体育でブラジャーした方がいいって言われた…」
でも返ってきたのは、
「はぁ?胸もないのに、なんでブラするんね?いらん!」
さらに「図体ばっかりでかくなって服が入らんようになる」と嫌味。
結局、私は中学3年になるまでブラを買ってもらえませんでした。
姉には買うのに、私は買ってもらえない。
たった一つ違いの姉妹なのに——この不公平さが、心をどんどんすり減らしていきました。
「どうせ無理」で固まった心
お願いしても嫌な顔をされ、怒鳴られる。
そのうち私は「どうせ無理」と諦める癖がつき、無気力で毎日をやり過ごすようになりました。
ときには「私なんていないほうがいいのかな」と思う瞬間もありました。
極めつけは毒母の一言。
「あんたを産むか迷ったんよ」
この言葉については、別の記事で詳しく書きます。
まとめ|必要なものを「必要」と言える環境を
成長に伴う衣服や下着は「贅沢」ではなく生活必需品。
子どもが安心して「必要」と言える環境がどれだけ大切か、今になって強く感じます。私の体験が、同じ思いをしている誰かの味方になれたらうれしいです。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
本日はこの辺で失礼します(*^^*)
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