私の子供時代と毒親エピソード|病院に連れて行かない毒母
毒親に育てられた子供時代の実体験を漫画仕立てで紹介します。
毒母との共依存や、自立までの道のりを同じ境遇の方に届けたいです。
病院に連れて行かない毒親
毒親エピソードを検索すると、多くの方のブログにたどり着きます。
「あるある!」「ひどい…母親じゃない!」と共感することも少なくありません。
私の母は、我が子を養う力もなく、子供より自分を優先する毒母でした。日曜しか休みのない工場勤務で、幼稚園や小学校時代、熱が出ても病院には連れて行ってくれませんでした。
心配より怒りが先
小学生のある日、急性胃腸炎で明け方に嘔吐。
母は「大丈夫?」ではなく、
仕事行かなきゃいけんのに!
と怒鳴り、仕事へ行く準備を始めました。
私は嘔吐物を片付け、正座して母の出発を待ちました。
母が出かけ、姉も父もいなくなるとホッとしましたが、吐き気で何度もトイレへ。
「なんで怒られにゃいけんの…」と喉の奥が熱く痛かったのを覚えています。
病気でも放置される日々
インフルエンザの時も病院には行かず、「寝とけ!」の一言。
高熱と関節痛で苦しみながらも、2日ほどで登校させられました。
大人になってから「あれは絶対インフルエンザだった」と気づきました。
母は滅多に病気をせず、「なんで熱出すんや!馬鹿が!」という人でした。
立場の逆転
そんな母も82歳。60歳で軽い脳梗塞、70代で歯槽膿漏、76歳で腰椎圧迫骨折を経験。
姉ではなく私に泣きつき「家におらせて」と頼んできました。
10月末〜2月まで世話をしましたが、金銭面や生活の面倒を頼るつもりだと感じ、春には自宅へ戻しました。
早く自立する力を
身内関係で悩んでいる方へ。
どうか早く自立できる力を身につけてください。
私は33歳で主人と結婚していなかったら、毒母との共依存から抜け出せなかったと思います。
母は「結婚できんでも一人で稼げるようになればいい」と言いながら、私が欲しい物を買えばケチをつけ、仕事を辞めれば怒鳴り散らしました。
結局、自分の老後の面倒を私に見させるつもりだったのでしょう。
親から離れて幸せに
今振り返っても、母は私が幸せになることは考えていなかったと思います。
そんな親から離れた今、この決断は間違っていなかったと断言できます。
親の事情で「自分は迷惑なのか」と悩む子どもがいることは胸が痛いですが、高校卒業まではどうしても養ってもらう必要があります。
だからこそ、自立できる日をイメージして生きてほしいのです。
親のことよりも、自分の体を守ってください。
私も体力がなく、動けなくなってようやく身内から離れ、幸せになれました。
最後に
小・中学生で自立を考えるのは難しいですが、このブログを読んで少しでも気持ちが楽になれば嬉しいです。
まずは毎日食べていける力をつけること。それが、将来の自由への第一歩です。
あなたは毒親を知っていますか?
それとも毒親に育てられましたか?
よろしかったらコメントお願いしますm(_ _)m
最後まで読んでいただきありがとうございました
それでは本日はこの辺で失礼します
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