毒姉 その4
こんにちは
まなえです
今回は『毒姉の不用品に迷惑していた』をテーマにしたいと思います。
「あんたセンスないよね?」とダメ出しされていました
毒姉の家は物だらけでした。
現在は、行き来していないので分かりませんが。
若い頃は、とにかく服やバッグ、雑誌やお菓子・・・
私達が20歳の頃、働くようになって自分で服を買うようになりました。
私自身も、片付けたり捨てる事ができなかった。
床の上が見えない状態です。
二人とも汚部屋で暮らしていました。
当時、
「あんたの服って、ダサいよね」
と、毒姉からダメ出しばかりされました。
「一緒に出かけるのが恥ずかしい」
と言われていました。
私なりに、テレビや雑誌で勉強してましたが、
「ダサい」「安っぽく見える」
と、ダメ出しばかりされ買い物が苦手になりました。
姉のお下がりをもらうようになったけど・・・
そして、
「○○のブランドよ」
「これ、高かったんだからね」
と、毒姉が着なくなった服をもらうようになりました。
でも・・・、
私は嬉しくなかったのです。
私のほうが身長も高いので、丈が合わなかったり。
素肌にセーターとか、チノパンも固い素材だったり。
バブリーな時代だったので派手なスーツなども置いていくのです。
収納できない大量の服で部屋がグチャグチャでした。
毒姉が結婚してからはと言うと・・・
23歳くらいで結婚した毒姉。
モノの収集癖はさらにひどくなりました!!
服以外にも、大きな家具や家電、生活品から食器類やら・・・
旦那さんの収入で、ありとあらゆるモノを買っていました。
でも、
片付けられないし捨てられない性格のままなので、かなり部屋が汚かったですね。
特に、毒姉は水回りの掃除ができない人なので、もう悪臭がキツかったです!!
台所、洗面所、浴室・・・
そして、トイレが汚い!!
誰も掃除しないんでしょうね・・・
可愛くカントリーな飾り付けとかしてるのに、ホコリまみれ。
「私が汚したわけじゃないのに、なんで掃除せにゃいけんのん!!」
と本気で言ってました・・・
そんな人です。(当時は専業主婦でした)
そして、捨てられないってのが一番厄介です。
だから、私や毒母の所に持ってきては
「これ、あげるわ」と置いていくんです。
シールを集めてもらった大量の皿。
カントリー好きで集めていた雑貨や食器類。
新品ならまだしも、使い古したモノばかり。
カーテンやドールも全然趣味じゃなかったです。
一番迷惑したのが、大きなテレビボード!!
自分が新しい家具を買ったからなんです。
「あのー、ウチはゴミ処理場ではないんですけど?」
そのテレビボードは、扉のガラスにヒビが入っているので開けられない
カビ臭いし、ベタベタしたホコリがついたままで気持ち悪い・・・
ペットの犬の毛も引っ付いていました🤮
黄ばんだカーテンとかもです。
柔軟剤とかも混じった臭いがキツかったなー😭
どれもこれも、独特の家の臭いが染み付いているんです。
ウチに持ってこないでほしい😭
「捨てたら?」
この一言が言えなかったんです。
あげた物を覚えている毒姉
結局・・・、
「自分は高かったものを妹にあげた」
毒姉は、いい事したって思うんでしょうね。
なかには、本当にもらって嬉しかった物もあります。
でも、それは新品の物とか、好きな食べ物とかでしたね😅
もらっても、着ないし使わない物が家中に溢れていました。
今思えば、かなりのストレスだったと思います。
使わない物はコッソリ処分していました。
だけど・・・💧
毒姉は、
「あれ、どう?使ってる?」と聞いてきます。
自分があげた物を覚えているんです!!
(げっ!捨てたわ・・・💦)
「あ、あれね💦使わないから処分したんよー」と答えると、
「はぁ?なんで?あれ高かったんよ!!」とキレてましたね。
ひえぇええーー😵
おかしな話です。
あの頃は毒姉の言うことを聞くのが当たり前でしたから・・・
私にとって自由がない生きづらい時代でした。
あのテレビボードだって、
毒姉と絶縁してから処分できたんです。
そして、自分の好きなタイプのテレビボードを買うことができました。
その時の嬉しい気持ち、忘れません!!
今は、自分で選んだものを買う事ができます。
時間はかかっていますが、自由になっていい方向に流れていると感じています!!
50代、60代もっと長生きして楽し人生を送りたいと考えるようになりました♪
こんな感じで、また思い出したことを記事にしたいと思います。
それでは本日はこの辺で
最後まで読んでいただきありがとうございました
コメント