毒姉 その4|「不用品のおすそ分け」に長年振り回された話
こんにちは、まなえです
今回は「毒姉の不用品に迷惑していた」というテーマで、若い頃から最近までの出来事をまとめます。
「あんたセンスないよね?」とダメ出しされ続けた若い頃
20歳前後、私も毒姉も自分で服を買うようになりましたが、私がどんな服を着ても毒姉は
- 「あんたの服ってダサいよね」
- 「安っぽく見える」
とダメ出しばかり。雑誌で研究しても心が折れて、買い物自体が苦手に。部屋も服・バッグ・雑誌で散らかり、今思えば完全な“汚部屋”でした。
姉のお下がりは「ありがた迷惑」
やがて毒姉は「ブランド物」「高かった」と、着なくなった服を大量に押し付けてくるように。
しかし私は背が高くサイズが合わないし、着心地が悪いものや派手なスーツも多く、正直嬉しくなかったのです。
収納しきれず、部屋はさらにカオスに。
結婚後は収集癖が加速、家は悪臭…
23歳で結婚した後もモノは増える一方。
家具・家電・雑貨まで買い込み、片付けられない性格はそのまま。
とくに水回りが壊滅的で、台所・洗面・浴室・トイレは悪臭が漂うレベルに。
「これ、あげる」=不用品の押し付けだった
そして本当に困ったのが、毒姉が自宅の不用品を「これあげる」と私や毒母の家に持ってくること。
新品ならまだしも、使い古し・壊れかけ・カビ臭いものが多数。
とくに最悪だったのが大型のテレビボード。
扉ガラスはヒビ、ベタついたホコリと犬の毛、カビ臭…処分場行きレベルなのに堂々と置いていくのです。
「捨てたら?」が言えず、こっそり処分…そして問い詰められる
本当は「いらない・捨てて」と言えばよかったのですが、当時の私は逆らえませんでした。
仕方なくこっそり処分すると、後日かならず
「あれ、どう?使ってる?」
と確認が入り、正直に「処分した」と答えると
「はぁ?あれ高かったのに!」
と激怒。息の詰まる毎日でした。
絶縁してやっと手に入った「自分の家」と「自分の選択」
あの巨大テレビボードを処分できたのは、毒姉と絶縁してから。
その後、私は自分で選んだテレビボードを購入しました。
ささやかでも、自分で選べる自由がどれほど心を軽くするか、あの時は涙が出るほど嬉しかった。
まとめ|暮らしは自分で決める
- 不用品の「おすそ分け」は、ときに相手の生活を侵害する。
- 「要りません」「処分してください」と境界線を示すことは自分を守る行為。
- 絶縁後、私は自分で選んだモノで暮らせるようになり、心が軽くなった。
50代になった今、やっと暮らしが良い方向へ流れ始めたと感じています。60代、70代と、これからも自分の選択で暮らしを整えるつもりです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました\(^o^)/
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