毒姉 その2|「万引きの噂」で失った友だち
こんにちは
まなえです
前回に続き、毒姉にまつわる低学年〜小4頃の出来事を書きます。
※本記事には、万引き(窃盗)に関する記述が含まれます。しんどくなる方は無理せず休みながらお読みください。
「お姉ちゃん、万引きしたんだって」
小4で同じクラスになった、頭が良くて一つ結びの似合う子。
鬼ごっこやゴム跳びを一緒に楽しむ仲でした。
ある日、その子が突然こう言いました。
「まなえちゃんのお姉ちゃんが万引きしたんだって」
彼女のお母さんが勤めるスーパーで、毒姉が補導された、と。
たしかに内容は「お菓子か菓子パン」。
私は言葉が出ず、ただ心臓がドクドクしていました。
「まなえちゃんとは遊ぶのやめんさい」
彼女は続けます。
「お母さんに、まなえちゃんとは遊ぶのやめんさいって言われたんよ。じゃあね…」
その日を境に、彼女は私と距離を置きました。
私は何もできず、ただ日常が流れていくのを見ていました。
家で問いただすと、返ってきたのは口止め
帰宅後、毒姉に尋ねると、
「昨日○△スーパーで補導された。もうしんさんなよって帰された」
「お母さんには絶対言わんといて。怒られるだけじゃけ」
私が言いたかったのは、友だちに絶交された悲しさ。
けれど姉の言葉は、
「みんなの前で言うって、その子の方がひどくない?」
「その子って、どうなん?」
—当時から、毒姉は“自分は悪くない、相手が悪い”という話法でした。
私は親と会話が少なく、姉の“正論”を浴び続けるしかありませんでした。結局、母には言わず、気持ちの置き場もないまま。
しばらくの孤立、消えない噂の影
どのくらい続いたか覚えていないけれど、私は集団遊びから離れ、教室で絵を描いて過ごすことが増えました。
やがて彼女とは別のクラスになり、廊下で手を振り合う程度に。
それでも胸の奥では、「あの子は姉と万引きしたらしい」という影がいつもつきまとっていました。
スーパーの方は親や警察に言わず終わりましたが、その後も姉がやめていたとは思えない出来事が重なりました。
高校生の頃の姉は「これ、もらった」とアクセサリーや雑貨を持ち帰る。バイトはしていない。
誰から?どうやって?——私はもう聞きませんでした。
その頃には、私たち姉妹の間に、はっきりした「格差」と「諦め」がありました。
ミニメモ|「他人の行為の責任」を背負わないために
- 事実を分ける:私はしていない/知らなかったを明確に言語化。
- 境界線を引く:口止め・同調の強要にはノーで返す準備(言い回しを3つ用意)。
- 味方を作る:先生・友人の親・相談窓口など第三者とつながる。
- 記録する:日時・場所・発言のメモは、自分の記憶の味方。
- 距離を選ぶ権利:必要なら関係を薄める/離れる選択も自分で決めてよい。
「私は私」を守る線引きは、関係を壊すためではなく、自分を守るための選択です。
私は40歳を過ぎて絶縁を選び、やっと「自分で決める」を取り戻しました。
しんどい時もあるけれど、いまは自分の機嫌を自分で取る練習を続けています。
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