毒姉 その1|駄菓子屋ではじまった「共犯」のレッテル
こんにちは
まなえです
今回は低学年の頃に起きた、毒姉との最初の出来事について書きます。
※本記事には、万引き(窃盗)に関する記述が含まれます。しんどくなる方は無理せず休みながらお読みください。
最初に起きたのは駄菓子屋で
近所の昭和な駄菓子屋。
くじ引き、10円ゲーム、色とりどりのお菓子……
私はよく毒姉と通っていました。

「ポケットに隠したじゃろ?」—店のおばちゃんのひと言
ある日、店のおばちゃんが姉に詰め寄りました。
「あんた、ポケットに隠したじゃろ?前から気づいとったよ!」
私は状況が飲み込めずに固まっていると、おばちゃんは私の手を引いて言いました。
「二人で来て、気づかれてないと思っとったん?家どこ?お母さんに言うからね!」
――その瞬間、やっと理解しました。
姉が万引きをしていたのだと。
姉はうつむいて涙ぐみ、私は胸がドクドクして声も出ませんでした。

家でも「二人まとめて」叱られた
おばちゃんは家まで来て毒母に報告。
毒母は平謝りでしたが、私に向かってもこう言いました。
「恥ずかしい!もう店の前を通れん!あんたら、もう行くなよ!」
私はやっていない。
それでも、「妹はやっていない」と私を庇う言葉は姉から出てこなかった。
私は同じ土俵で怒られ、胸の奥がきゅっと痛くなりました。

再発:ペロペロキャンディー2本
しばらくして、また駄菓子屋へ。
私は10円ガムの会計中。
ふと目をやると、姉はペロペロキャンディーを両手に1本ずつ握って外で待っていました。
おばちゃんが追いかけて来てひと言。
「もう、あんたらここに来んさんなよ!」
その後、姉は私に口止めしました。
「お母さんに言わんでよ!また怒られるけぇ!」
私は共犯ではない。
でも一緒にいるだけで、“共犯者のレッテル”を貼られる——そんな感覚が、この頃から始まりました。

「あんたのも用意したから」—望んでないのに巻き込まれる
姉はよく、私の望みとは関係なく「あんたのも用意したから」と物事を進めました。
小さな駄菓子の出来事は、大人になっても形を変えて続き、40代まで共依存の関係に縛られ続ける原因のひとつになりました。
ミニメモ|「私は共犯じゃない」を守るために
- 事実を分けて言語化:「私は取っていない」「私は知らなかった」をはっきり伝える。
- NО の練習:誘われたら即答で「行かない/しない」。言い換えパターンを3つ用意。
- 記録を残す:日時・場所・言動をメモ。自分の記憶を守る盾になります。
- 距離を取る権利:連絡頻度や会う場所を自分で決める(境界線)。
- 第三者に相談:信頼できる大人・支援窓口・カウンセラーへ。孤立しない。
「私は私」を守る境界線は、関係を壊すためではなく、自分を守るための線です。
今でも思い出すとしんどくなるけれど、私は自分の人生を自分で選べるようになりました。
機嫌は自分で取る——そう決めて、今日も小さく前へ。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
それでは本日はこの辺で失礼します\(^o^)/





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